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How did you feel at your first kiss?
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 乾の生活形態では、寝ている時間はどれくらいあるのだろうかと海堂は常々疑問に思ってしまう。
 テニスに、データ収集に、それ以外にも乾は実に多趣味だった。
 生真面目そうな印象があるが真面目一辺倒ではなく、多岐に渡って何だかんだと造詣が深い。
 時間のやりくりだけは得意なんだよと乾は笑うが、睡眠時間などは二の次にされているのだろうと海堂は思っている。
 最近の海堂は、そんな風に、乾の事を考える瞬間が、毎日のあちこちに増えていっている。
 乾が多忙で、多趣味で、忙しそうなのは出会った頃からそうだったのに。
 今頃になってあれこれ気づいたみたいな気になるのは、有り得ないこととすら思っていたダブルスを、海堂が乾と組む事になってからの事だろうか。
「海堂、この後すこし時間あるか」
「……ッス」
「ちょっとつきあって」
 部活が終わっても、初夏のこの時期は、まだまだ外は明るいままだ。
 部の中でも最後にコートを後にして、着替えの為に部室に入ったところで乾に声をかけられた海堂は、同意の頷きを返したものの、そのまま乾に腕をとられて驚いた。
 乾は着替えを済ませていたが、海堂は当然まだジャージのままなのだ。
「あ、そうか。制服と鞄か」
「え……」
 俺が取ってくると言って、海堂のロッカーへと背中を向けた乾に海堂は面食らう。
 急ぎの用件なのだろうか。
 このままの恰好で行くのかと海堂が所帯なさげに自身の出で立ちを見下ろせば、せっかちだなあ乾はー、とハイトーンの声が海堂へとかけられる。
「菊丸先輩…」
「海堂が戻ってくるの待ってたのは判るけどー。ねえ? 着替えくらいさせろって、言っていいんだぞー? 海堂」
 同級生の中では構われる立場でいる事の多い菊丸は、下級生に対してはお兄ちゃんぶりを発揮してしきりに構ってくる方だ。
 海堂はそういう接触に元々慣れていないものだから、今もこうして背後から伸し掛かるようにしてきた菊丸に対して、微妙に畏まって固まってしまう。
「英二。海堂に乗らないの」
 やんわりと菊丸を嗜めながら場に交ざってきた不二が、乾を流し見て笑う。
「海堂といる時は、乾も何だかかわいいよね」
「……………」
「乾がか?! かわいいか?!」
 言葉の詰まった海堂と、たちどころに叫び声を上げた菊丸とを交互に見やって不二は言った。
「だって英二。僕達を誘ったり、声かけてきたりする時の、乾を考えてみなよ」
「ん?……んん………」
「……どう? 今みたいになる?」
「ならない!」
「だろう?」
 あんな風にテンション上がらないよねと上級生二人に口を揃えて言われても、海堂には乾のテンションというものがよく判らなかった。
 乾は大概落ち着き払っていて、羽目を外すような企み事も涼しい顔でしてのけるタイプだ。
「お待たせ。海堂。行こう」
 持って来た海堂の荷物を、乾は自分が持つと言って海堂には手渡さないまま部室を出ようとする。
「え、……あの、…」
「なーに遠慮してんの海堂。いいんだよ、乾に持たせればー」
 着替えもさせないで強引に連れ出されるんだからー、と菊丸が頬を膨らませる。
「乾。海堂と何処に行くの」
「内緒」
 ほら見てかわいい、と不二は乾を指差して菊丸と海堂を振り返り笑う。
「ああもう、邪魔するなよ二人とも」
「……乾先輩、……」
 海堂は二の腕を乾に取られて、半ば強制的に部室から連れ出される。
 背後を気にする間も許されないまま、走れるか?と聞かれた。
「は?……」
 面食らいつつも頷けば、するりと二の腕から乾の長い指が外れて、広い背中は海堂の先になって走り出す。
「………………」
 急いでいるみたいだけれど、慌てているのではないようだった。
 どちらかといえば楽しい事を待ちきれないみたいな気がすると海堂は思った。
 乾のテンションというものは、海堂にはよく判らないものだけれど。
 どことなく楽しげな乾の気配は判る気がして、そんな乾の背中を追って、海堂は走り出した。


 行き先もわからず走っていくのだから、海堂が見ていたのは乾の背中だけだ。
 結果として数駅分は走った事になるが、乾や海堂にしてみればたいしてきつい距離ではない。
 駅前のビルの書店に続くエスカレター前で、乾は足を止めた。
 そしてエスカレーターには乗らずに近辺をしきりに見回っている乾を、海堂は黙って見つめていた。
「あった」
「……………」
 エスカレターの上り口脇の死角、レンガの塀にそれはあったらしい。
 海堂が乾に近づくと、乾は一冊の本を翳して見せた。
 洋書のようで海堂には見ただけではそれが何の本なのか判らない。
「世界から旅してきて、ここに今はいる本だ」
 ブッククロッシングって知ってるか?と乾は海堂を促して、エスカレーターに乗った。
「読書家の為の活動体でね。サイトでマスター登録をしてBCIDナンバーを発行して、それを貼った本に世界を旅させるんだ」
「本に旅……?」
「そう。例えばこんな風にブッククロッシングの本を見つけたら、サイトに行ってBCIDナンバーを検索すると、この本がどこから来て、どういう人に読まれたのかが調べられる」
 エスカレーターを上がっていった書店のあるフロアにはネットカフェもあって、オープンエリアネットスペースで乾は実際に海堂にそのサイトを見せながら説明した。
 英語サイトだったが、好きな教科でもある海堂には興味の方が勝る。
 今乾が手にしている本は、元はカナダから旅をしてきた本だった。
「自分が本を見つけた事をサイトに書き込んで、読み終えたら好きな場所にまたこの本を置いて旅をさせてやればいい」
「……ここにあるって事はどうして判ったんですか」
「国と街を選んで、検索出来る。まだ日本にはあまり普及していないから、偶然見つけるのは難しいからね」
「ずっと探してたんですか?」
「本当は偶然出会いたかった」
「………………」
 かわいいかもしれないと。
 海堂は唐突に思った。
 真剣に、残念そうに、でもとても嬉しげな、こんな乾が。
 多分、以前なら、そういう微妙な乾の変化は海堂には汲めなかったかもしれない。
 ことテニスが絡めば自分の事だけに手一杯になってしまう海堂は、乾とでなければダブルスなど出来なかったと知っている。
 乾には、何故なのか理解されている事が多くて。
 海堂はそのどこか甘いような安堵感を初めて知ってしまった。
 そうして海堂にも少しずつ、気づけて、判る、乾の心情が見つかっていく。
「どうせ探すなら、失くしたものを探すより、欲しいものを探す方がいいっスよね……」
「………………」
「先輩?」
 呟くようにして言った海堂を、乾が強く見つめてくる。
 何か自分はおかしな事を言ったかと海堂はぎこちなく乾に呼びかける。
「海堂は…」
「………………」
「俺がお前をどれくらい好きか知ってる…?」
「………なに真面目な顔で言ってんですか」
 計測不可能だと。
 自分の理解の範疇外にまでなったと。
 完全敗北を露に見せて、乾は微笑した。
 あまりにも真っ向から言われてしまって、海堂の羞恥心は後からじわじわと込み上げてくる。
 これ以上何か言われたらとても正気を保っていられなくなりそうで。
 海堂は低い声で、話をかえた。
「その本を次に行かせる場所……決まってるんですか」
「全国大会の会場とかどう?」
「………………」
 挙句、同じ事を考えていたのだと知らしめられて。
 もう、どうしようもない。
 優勝は持って帰って。
 この本は置いて帰る。

 誰かの手で、何処かへと、運ばれていく本もあれば。
 自らの手で、此処にだけ、生まれて育む恋情もある。
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